人に優しく

昨日の日記にも書いたように、週末は浄霊の現場に参加をさせていただきました。そこで霊媒のなかに霊魂に定着していただくお手伝いをさせていただいたことによる副産物がありましてね、それは何かと言いますと、他人に優しくなれるようになったのです。いや、全く優しく無かったわけでは無いですよ。おそらくは普通でしたよ。それがね、なんだか自然と周りに優しくなれるようになったのです。
霊媒のなかに霊魂に定着していただく前に、まずは霊媒と私(審神者)との間に信頼関係を築く必要があるのですが、その作業を通すことにより、他人に優しくする感覚を思い出したということです。言うなればラポールですよ、ラポール。産業カウンセラーの資格を取るべく勉強をしていたころに耳にタコができるくらい言われ続け実践し続けたラポールの形成。心理学用語で言うところの「信頼関係」ですとか「心を通じ合わせる」なんて意味を持つ言葉ですけれど、霊媒との信頼関係を築くってことは、つまりはあのとき学んだラポールの形成をそのまま実践すればいいんだなと思い、その場で実践したのです。目線と表情に気を付けて、言葉のトーンと速さを意識して、霊媒に語りかけました。で、久しぶりにその作業をおこなったところ、通勤電車に乗っているときにも周りの方々に意識が向きやすくなり、「あの人大丈夫かな?」やら「手助けを必要として無いだろうか?」なんてことを思うようになりました。自分中心の意識が少し薄れたかなと。

産業カウンセラーの資格を取るべく勉強をしていた頃には全く想像もしていませんでしたが、あの頃の経験が今になって役に立つだなんて、世の中ってうまくできてるなぁ、なんてことも思いました。なんかこう、順調だなと。

浄霊

この週末は、浄霊の現場に参加をさせていただきました。除霊であればこれまでにも何度かお手伝いをさせていただいてきましたが、霊媒に魂を降ろしての浄霊の現場は見ることすら初めてのことで、非常に勉強になりました。今回は霊媒に魂を降ろさせていただくところまでは、不器用ながらもお手伝いをさせていただくことができました。
その勉強会には今後も定期的に参加させていただけることになっているので、そのことに感謝し、気を引き締めて、勉強をさせていただきたく思います。まずはこの週末に体験させていただいたことについての復習からです。なんと言いますか、世間って広いです。

パワースポット

10年ほど前、ひとりで軽井沢に旅行に行きました。以前から泊まってみたかったHリゾートさんが経営するホテルに二泊し、日頃の疲れを癒しました。
性格上、あらかじめ予定を立てての旅は苦手なもので軽井沢でも行き当たりばったりの行動をしていましたが、最終日になり「長野って何があったっけなぁ…」と考えた結果、頭に浮かんだのが分杭峠でした。分杭峠とは「ゼロ磁場」のパワースポットで、所謂「気場」として知られた場所です。長野のどこにあるのかも知りませんでしたが、ナビがあるから何とかなるだろうとのことで向かってみました。
長野って広いですね。行けども行けどもまるで到着する気がしませんでした。後で知ったことですが、軽井沢と分杭峠はかなり離れていたようです。おそらくは横浜と富士山くらい離れているのではなかろうかと。そりゃいつまで経っても到着しないはずです。

かなりの時間をかけて山道を抜け、ようやく目的地に到着しました。平日の午前中でしたが、既に数十名の方がいらっしゃいました。山の斜面を削ったような場所に小さい丸太を切って作ったようなベンチがあり、皆そこに並んで座っていました。「うわぁ…」と思いました。いや、見た目が。僕はそこには入れないなと。そもそもここはパワースポットのはずだけれど特に何も感じないぞということもあり、その場所へは近寄りませんでした。で、「実は滝の前の方がパワーが強い」とどこかに書いてあったことを覚えていたので、その滝とやらを探すことにしました。看板は見当たりませんでしたが、なんとなく坂道を登り、10分も歩いたのかな、まずまず歩いたところに滝はありました。そこにも数台の車とともに10名ほどの先客がいました。「先生」なんて声をかけているので、何かしらの団体さんなのでしょう。その方々の脇を通り、滝の前に数十秒ほど立ってみましたが、僕が鈍感なのか何なのか、よく分かりませんでした。
せっかく来たのになぁ、なんてことを思いながら歩いてきた道を戻りましたが、数分歩いたところで身体の左側に微妙な心地よさを感じました。「なんだ?」と思い立ち止まって振り返ると、かなりの小規模ではありますが、山の傾斜に沿って水が流れ落ちている場所がありました。改めてその場所の前で静止してみたところ、やはりそこでした、心地よさの発信源は。単なる道の途中ですのでその場所には僕以外は誰もいませんでした。時間にして1~2分ほどでしょうか。その場所に立って「気」をもらい、分杭峠を後にしました。

全くの私見ですが、パワースポットってものは本当にあるのだろうとは思いますが、そこに集まる人が持ち込むモノによって、その場が持つ本来のパワーは失われるんじゃなかろうかと。もしくは移動してしまうとか。僕の感覚だけが正しいとは思いませんが、斜面のベンチにも滝の前にも正のパワーらしきものを感じ取ることはできませんでした。それに比べて、あの水が滴り落ちる「名も無き場所」の方が心地よいものを発していました。それも僕と土地とのマッチングの問題かもしれませんけども。

赤ちゃん

個人差はあれど、人間はこの世に生まれてから1年前後で言葉を発するようになり、また、歩き始めるようになります。それからも成長を続け、少しづつこの世での生活に順応していきます。逆に人間はこの世での生活を終えると、どこかにも書いたと思いますが、まずは幽現界と呼ばれる場所で数年間の休憩生活に入ります。その期間を経ることで、あの世での生活に順応していきます。要は身体をまとってこの世に現れ、まずは身体を使った生活に慣れるための期間を過ごし、身体を脱いでこの世を去り、身体を使わない生活に慣れるための期間を過ごすわけです。というと若干の語弊が生じるのですが、まぁここではスルーしましょう。

赤ちゃんとしてこの世に生まれてくる霊魂は、所謂高級霊です。あの世での学びを重ねた霊がこの世へと降りてきます。そしてこの世での生活を通して霊的レベルは下がり、ある時期を迎えるとあの世へと帰っていきます。って、こんな話を続けているといつまでも終わらないので言いたいことを言うとですね、赤ちゃんを抱っこすると気持ちよくありませんか?温かさだったり、いい匂いだったり。赤ちゃんとのスキンシップにより癒されるように私は思います。これ、赤ちゃんが高級霊だからですよね。いや、肉体をまとってこの世に生まれているわけですから既に高級霊では無いんですけど、僕らに比べれば限りなく高級霊に近い存在だと思うんです。赤ちゃんに触れたときの心地よさって、ここから来てるんだろうなと思っています。いつまでも触れていたい。ヒーラーが目指すところってここなんだろうなとも思えます。

病院とヒーリング

身体に不調を感じたとき、私は迷わず病院へ行きます。診察をしていただき、薬を処方していただきます。身体の不調を取り除く手段は他にもあるとは思いますが、私は病院へ行きます。「ヒーリングなんてことをやってるんだから自分でヒーリングすればいいのに。」と思われる方もいらっしゃると思います。でも自分のなかでは、身体に不調を感じたときの最優先は病院です。その次に、ヒーリングです。
実際にはこんな感じです。身体のどこかに痛みが出たと。では病院だということで病院で診察をしていただきます。薬をいただいて帰ってきてから、患部に自分でヒーリングを行います。これがひとつめ。次によくあるのが、病院が開いていない時間帯の身体の不調です。そのような際には迷うことなくヒーリングです。ヒーリング以外に手段はありませんからね。ヒーリングで状態を快方に向かわせておいて、その後、病院です。もちろんヒーリングをおこなうことにより、病院へ行く必要が無くなることもあります。

打撲や裂傷では無い限り、身体の不調の原因は心にあると思います。もっと言うと、原因は霊体にあると思っているということです。霊体の不調が先に起こり、それが原因で肉体に不調が起こります。肉体、つまりは身体に不調が出ている状態にある場合には、身体へのアプローチが最善だと思えます。たとえば身体が痛いのに最初に霊体にアプローチするというのも、ダメではありませんが、最善とも思えません。ですので私は身体に何かが起きた場合には病院へ行きます。まずは物理的な部分を診ていただき、その後、もしくはそれと併用するかたちで霊的な部分に自らアプローチします。
このあたりの考え方は人それぞれだと思います。そしてその考え方はどれも正解だと思います。

痛い、おかしい、と思ったら病院へ行き、それを補完するかたちでヒーリングをする。これが私の基本です。