死ぬとどうなる

昨年の話ですが、私の知人が他界しました。「友達」と呼ぶには少し違和感が残る関係で、ご自宅に招いてくださり、ともに食事をしたことがあるという間柄です。その方が他界してから1週間も経たないころ、その方が私の中に入ってきたことがあります。断定してしまうのは危険ですので「おそらく」ということではありますが、入ってきた瞬間に「あ、〇〇さんだ」と思えたので、私のなかではまずまずな確率でその知人が入ってきたものと感じさせられました。
私からその知人へ話しかけたり意識を向けるようなことはしませんでしたが、それでも多少はその感情が漏れてくるような感覚がありました。具体的なことを書いてしまうと個人情報の漏洩になりますので控えますが、そのことを通して思ったのは、人は死んでも変わらないんだなということです。厳密に言えば肉体を脱ぐことによって変わる部分はありますよ。でもその根本の部分は変わらないんだなと思えました。
人は死ぬとある意味エスパーのようになると思っている方がいらっしゃると思うのですが、そうはならないです。例えば肉体を脱いだ瞬間にお経の意味を理解できるようになることはありません。あくまでも、生前に学んだことしか知識としてはストックされていないようです。ただ何と言いますか、喜怒哀楽については生前と比べてストレートになるような気はしました。思ったことをオブラートに包むというような、この世で言うところの「気遣い」は無くなるようです。自分の感情が大砲のようにドカンと炸裂します。

四十九日の間はこの世で過ごしたいという思いをお持ちのようでしたので、そこから思うに、自分が他界したことは理解していて、四十九日を過ぎればあの世へ移行する(すべき)ということも理解していたと思います。ですので既にあの世へ旅立たれていると思います。まずはゆっくりとお休みになって、持ち前のパワフルさを取り戻していただけたらなと思っています。

思い込むこと

思い込み。日常生活においての思い込みはよからぬ結果を招くことが多いように思えますが、スピリチュアルの世界においてはなかなか重要なものだったりします。

例えば自分の気を鎮めたいとき。もうちょい柔らかい言い方に変えるとリラックスをしたいとき。僕はこんな想像をします。
まずは目を軽く瞑り、脳の中に自分そのものがいることを想像します。その自分は球体です。脳の中にすっぽりとはまっています。その球体が、少しずつ下へ下へと下がっていきます。脳から眉毛へ。眉毛から鼻へ。鼻から口へ。口から喉へ。喉から胸へ…。このように、自分という球体がどんどん下へ下へと下がっていくところを想像します。胃に下がり、丹田に下がり、股間を通ってついには地面に潜り込みます。地面に潜りこんだらどんどん地球の中心に向けて降りて行きます。と、こんな感じで進めていくとリラックスできるんですよね。
また、自分をいう球体を下げるのでは無く、頭の上から温かくて心地のいい粘液をかけてもらっているところを想像するのも良いです。その粘液にはありとあらゆる病気に効く薬が入っています。世界中から集められた、あらゆる病に効く特効薬が入っています。とてもいい香りがします。その薬は身体はもちろんのこと、心にも抜群の効果を発揮します。心の疲れをきれいさっぱり取り除いてくれるのです。その温かくて気持ちのいい粘液が頭の上から額へ。額から目へと、ゆっくりと、しんしんと下がっていきます。粘液が触れたところからじんわりと暖かくなり、まるで温泉にでも入ったかのように心地よくなっていきます。それにより、心と身体にとってマイナスな要素は全て洗い流されていきます。粘液がそれを吸い取ってくれているのです。その心地よさは身体の表面を伝って下へ下へと降りていきます。目から頬。頬から口。温かくて心地いい粘液は口の中にも入っていき、喉、食道、胃へと降りていき…という感じです。こんな感じで全身をその粘液で包み込んで、全身を綺麗にするというものです。思い込みですが、実際に心地よくなると思います。

昨今、世界は大変なことになっています。うがい、手洗い、マスクは必須とのことです。ここはスピリチュアルな方面の話題を多めに語る場ですので、今日はその方向から語らせていただきました。あらゆる病に効く特効薬が入った粘液、ぜひとも頭の上からかけてみてください。

危険なこと

スピリチュアルと言っていいのか、精神世界と言うべきか、そのあたりのことはいまいち分かりませんが、そのあたりのことが好きな方って少なく無いですよね。それを公言する方は少ないですけど、実際にはなかなかな数の方がいらっしゃると思っています。それはそれで良いのですが、そんななか、僕が日頃から思っているのは、スピリチュアルやら精神世界を追求するということは危険がつきまとうものだということをご存知の方はどれくらいいらっしゃるのかなかということです。
僕の例を挙げましょうか。僕はこんなことを始めて(公言して)から既に16~7年ほど経っているものと思いますが、それでもこんな目に合うんだよということで。

所謂「セッション」をしている最中のことです。集中してセッションをしているなか、少しだけ気を抜いた瞬間がありました。するとね、身体が揺れ始めた感覚があったのです。「あれ?地震かな?」と思い周囲に目を配りましたが、どうも地震では無いようなのです。その揺れは徐々に大きくなってきたと言いますか、脳天を軸として時計回りにぐるぐると身体が回転し始めたのです。こんなに揺れているのにそばにいる人からは何の指摘も無かったのでおかしいなとは思ったのですが、ハッと気づきました。これ、身体が揺れているわけじゃ無いんだなと。悪意のある霊魂が僕の身体に入ろうとしてるんだなと。エネルギーって回転してるんですよ。僕の身体が右回りに回転しているように感じるということはなんらかのエネルギーが僕の脳天から入ってきているということであり、そのときの感覚によると、それは悪意のある霊魂だろうなと思えたのです。実際、揺れている最中は意識が遠のくような感覚もあったので、とにかく意識が飛ばないように気を入れなおし、その状況から抜け出しました。その脱出劇の間、周りの人は一切反応をしていなかったので、おそらくは誰からも気づかれ無かったんだろうと思います。つまりは見た目は変わらなかったと。

一般の方が身を危険に置きやすいのは、瞑想をしている最中だと思います。瞑想している最中って無防備なんですよ。その人の状況とその場の状況との二つが合致すれば、僕に起きたことと同じことが起きると思います。だから慣れないうちは信頼できる方にそばについてもらった状況で瞑想をすべきと思います。実際、普段からさ、自分の頭に浮かんだことが本当に自分で考えたことなのかって分からないと思うんです。分からないですよね?自分のものでは無い可能性ってあるんですよ。ただそれは悪いことだけでは無く良いものが入ってくることもあるのですが、言いたいのは、それくらい簡単に入られちゃうものなんですよ、ということです。なのでね、スピリチュアルや精神世界に興味を持つことは悪いことでは無いと思いますが、重々注意しましょうね、ということです。

朝の通勤路。とあるマンションの入口に小さな花壇があって、そこにはチューリップが咲いていました。自分の表情が緩むのが分かります。そこから50mほど歩いたところにある一軒家の庭には、たくさんの花が植えてあります。休みの日にその家の前を通りかかると、年配の女性が熱心に花の手入れをしている姿を見かけます。「いつも素敵なお花を見せてくださってありがとうございます。おかげで心が洗われます。」とお声掛けしたいところですが、不審者だと思われてもアレだなと思い、その気持ちは心の中に留めています。
僕が花に対して気持ちが向くようになったのは、おそらくは30代前半の頃だったと思います。あの頃は最寄駅に花屋さんがあって、そこにはワンコインで購入できる小さなブーケが置いてありました。それを仕事帰りに購入し、自宅のダイニングテーブルの上に飾るのです。心が安らぐんですよね。
そして花と言えばあの話を思い出します。かつて共に働いていた女性の話です。その女性が転職し、その会社で働き始めてから心に病を抱え、自宅療養をするようになりました。時間をかけて少しづつ回復するとともに外にも出るようになったそうですが、やはり外に出ると不安が押し寄せるそうで。そんなとき、花屋さんの前に立つと安心したそうです。花屋さんの前でいくらかの時間を過ごし、心が回復してから次の目的地へ行くようにしていたそうです。その後、今度は果物に触れていると落ち着くことも発見したとか。それからは常にカバンの中にオレンジを入れておくようにしたと言っていました。気持ちがザワザワしはじめたらカバンを開けてオレンジを触ることで気持ちを落ち着かせていたそうです。花とオレンジに支えられたと。なんか、分かる気がします。

神様とかハイヤーセルフとか

所謂スピリチュアルな世界と言いますか、業界内と言いますか、そこではなかなか世には出まわらないような独特な単語が使われていますよね。私が最も「スピリチュアルっぽいな」と感じるのは「ハイヤーセルフ」という単語です。なんかこう、皆さん当たり前のように使いますよね、ハイヤーセルフって。私は勉強をしてこの道に入ったわけではありませんし、そしてどちらかと言えば古神道の方がしっくりくるので洋風なものには疎いのです。ですので「ハイヤーセルフってなんじゃい?」ってことでその言葉を使う人に説明を求めたりもするのですが、いまだよくわかっていません。「高次の私」のようなことを言われるのですが、「高次って具体的にはどこなんだろう?」やら「私が二人いるってことなのかな?」のように、さっぱりです。感覚としては守護霊のようなものなのかなと思っています。そう、守護霊という言葉もけっこう曖昧だったりします。言葉というよりは、それが何を指すのかということですね。私のカウンセリングにお越しいただいた方から「他の霊能者からは「あなたの守護霊は亡くなったあなたのお爺様です」と言われました」なんてことを伺うこともあるのですが、あの世へ旅立ってから間もない方が守護霊としてサポートに入るとは考えにくいかと。ただし、そこで言う「守護霊」を「守護霊団」の意味で使っているのであれば、それもケースによっては無くは無いのかなとも思えます。生前の生き方、亡くなってからの年月、そしてあくまでも補助霊として守護霊団に組み込まれているということであれば無くは無いかなというのが私の理解です。
他にもいろいろありますね。「神様」ってのもいろいろです。日本ではトイレにも神様がいらっしゃるし、「野球の神様」なんてものもいらっしゃるみたいですし。清原氏が現役時代に仰ってました、野球の神様って。そこで言う野球の神様ってのは天狗のことかもしれないな、なんてことも思うのですが。
このように、神様ひとつとってもその解釈っていろいろですから、なんつーか、ご自身の思うものを頭に思い浮かべればいいんだと思います。あなたの思う神様、あなたの思うハイヤーセルフ、あなたの思う守護霊、司配霊、指導霊。何が正しくて何が正しく無いだなんて、おそらくは誰も分からないのだろうと思うのです。「多くの方がこう言っている」というものはあるでしょうけど、この世で肉体を持って生きている我々の考えることなんて、たかが知れたものだろうなと思うんですよね。なので「神様に祈りましょう」となったら、その対象はご自身で思うもの、ご自身の頭のなかに浮かぶ「神様」に対して祈ることで正解だと思います。なんでもいいのよ。