朝の通勤路。とあるマンションの入口に小さな花壇があって、そこにはチューリップが咲いていました。自分の表情が緩むのが分かります。そこから50mほど歩いたところにある一軒家の庭には、たくさんの花が植えてあります。休みの日にその家の前を通りかかると、年配の女性が熱心に花の手入れをしている姿を見かけます。「いつも素敵なお花を見せてくださってありがとうございます。おかげで心が洗われます。」とお声掛けしたいところですが、不審者だと思われてもアレだなと思い、その気持ちは心の中に留めています。
僕が花に対して気持ちが向くようになったのは、おそらくは30代前半の頃だったと思います。あの頃は最寄駅に花屋さんがあって、そこにはワンコインで購入できる小さなブーケが置いてありました。それを仕事帰りに購入し、自宅のダイニングテーブルの上に飾るのです。心が安らぐんですよね。
そして花と言えばあの話を思い出します。かつて共に働いていた女性の話です。その女性が転職し、その会社で働き始めてから心に病を抱え、自宅療養をするようになりました。時間をかけて少しづつ回復するとともに外にも出るようになったそうですが、やはり外に出ると不安が押し寄せるそうで。そんなとき、花屋さんの前に立つと安心したそうです。花屋さんの前でいくらかの時間を過ごし、心が回復してから次の目的地へ行くようにしていたそうです。その後、今度は果物に触れていると落ち着くことも発見したとか。それからは常にカバンの中にオレンジを入れておくようにしたと言っていました。気持ちがザワザワしはじめたらカバンを開けてオレンジを触ることで気持ちを落ち着かせていたそうです。花とオレンジに支えられたと。なんか、分かる気がします。

神様とかハイヤーセルフとか

所謂スピリチュアルな世界と言いますか、業界内と言いますか、そこではなかなか世には出まわらないような独特な単語が使われていますよね。私が最も「スピリチュアルっぽいな」と感じるのは「ハイヤーセルフ」という単語です。なんかこう、皆さん当たり前のように使いますよね、ハイヤーセルフって。私は勉強をしてこの道に入ったわけではありませんし、そしてどちらかと言えば古神道の方がしっくりくるので洋風なものには疎いのです。ですので「ハイヤーセルフってなんじゃい?」ってことでその言葉を使う人に説明を求めたりもするのですが、いまだよくわかっていません。「高次の私」のようなことを言われるのですが、「高次って具体的にはどこなんだろう?」やら「私が二人いるってことなのかな?」のように、さっぱりです。感覚としては守護霊のようなものなのかなと思っています。そう、守護霊という言葉もけっこう曖昧だったりします。言葉というよりは、それが何を指すのかということですね。私のカウンセリングにお越しいただいた方から「他の霊能者からは「あなたの守護霊は亡くなったあなたのお爺様です」と言われました」なんてことを伺うこともあるのですが、あの世へ旅立ってから間もない方が守護霊としてサポートに入るとは考えにくいかと。ただし、そこで言う「守護霊」を「守護霊団」の意味で使っているのであれば、それもケースによっては無くは無いのかなとも思えます。生前の生き方、亡くなってからの年月、そしてあくまでも補助霊として守護霊団に組み込まれているということであれば無くは無いかなというのが私の理解です。
他にもいろいろありますね。「神様」ってのもいろいろです。日本ではトイレにも神様がいらっしゃるし、「野球の神様」なんてものもいらっしゃるみたいですし。清原氏が現役時代に仰ってました、野球の神様って。そこで言う野球の神様ってのは天狗のことかもしれないな、なんてことも思うのですが。
このように、神様ひとつとってもその解釈っていろいろですから、なんつーか、ご自身の思うものを頭に思い浮かべればいいんだと思います。あなたの思う神様、あなたの思うハイヤーセルフ、あなたの思う守護霊、司配霊、指導霊。何が正しくて何が正しく無いだなんて、おそらくは誰も分からないのだろうと思うのです。「多くの方がこう言っている」というものはあるでしょうけど、この世で肉体を持って生きている我々の考えることなんて、たかが知れたものだろうなと思うんですよね。なので「神様に祈りましょう」となったら、その対象はご自身で思うもの、ご自身の頭のなかに浮かぶ「神様」に対して祈ることで正解だと思います。なんでもいいのよ。

勉強

ここ最近の日記を読んでいただくと分かると思いますが、ここ数年はある霊能者のもとで勉強をさせていただいています。霊界に関する科学的な知識やその周辺に関することを、実技と合わせて学ばせていただいています。それを知ると「スピリチュアルを生業としている人間がどうして今さら勉強をするのか」と思う方がいらっしゃるかもしれません。その理由はとても簡単で、単に自己研鑽に励みたいためです。その自己研鑽のなかに「他の方の考え方を聞いて学ぶ」という行為を含めているということです。自分ひとりの考えに固執することは危険と隣り合わせと思えますし、他の方の考え方をお伺いして取捨選択をしたり、その考え方についてさらに学びを深めることは良いことだと思えます。過去に所属していた日本産業カウンセラー協会においても、定期的に他のカウンセラーのカウンセリングを受けることで自分を客観視することは大切であるとされていました。その考え方はそのままスピリチュアルの世界にも当てはまるものと思います。
この秋からは浄霊の実技を集中的に行っています。今後安西ヒーリングにおいて浄霊をおこなう予定は全くありませんが、その経験を通して既に多くの学びを得ることができています。その学びは安西ヒーリングのクライアント様方にとって有益なものとなると確信しています。

審神者体験

1か月ぶりの日記です。こことは別に個人的な日記を書いているブログがありまして、そちらのブログは常時更新をしているのですが、こちらの日記はですね、どうもこう真面目なことを書かないとイカンかなという思いが出てきてしまいまして、なかなか更新できずにおります。真面目なことばかり書く必要なんて無いことは分かってはいるのですが、なんだかこう、筆が進まないと言いますか、キーボードが進まないと言いますか、そんな感じです。

さて、前回の日記と同様、今月もまた勉強会に参加をさせていただきましたので、そのお話をね、書ける範囲でさせていただきますね。
前回は巫女役として私の身体に霊魂を降ろしていただきましたが、今回は審神者(さにわ)役をさせていただきました。審神者ってのは何かと言いますと…まぁそこにはいろいろな意味があるのですが、今回の勉強会で言うところの審神者とは、高級霊との共同作業によって巫女に霊魂を降ろしたうえでその霊魂を浄化へと後押しさせていただく役割とでも言いましょうか、そのあたりの役割を担う人のことです。少しもやっとしましたが、例えば「審神者をする」のようにその行為のことを審神者ということもありますし、単純に役割のことを指すこともありますし、その範囲もまちまちですし、まぁいろいろなんですよ。とにかくは今回は高級霊との共同作業によって巫女に霊魂を降ろす云々の係をさせていただいたわけですが、一言で言えばまぁ難しかったです。常に意識レベルでは高級霊とコンタクトを取りながら巫女…と言いますか、巫女の中に入っている霊魂とは言語でのやり取りをするわけでその同時進行が難しいですし、それ以前に霊界に関するしっかりとした知識が無ければ霊魂の浄化の後押しをさせていただくことは難しいでしょうし、そもそも巫女の中に入る霊魂は自分の意思で入っていないことがほとんどでこちらとの会話を望んで来たわけでは無いのです。私は産業カウンセラーの資格を取得した経験があるので「対話をする」ということについては未経験ではありませんが、相手がそのような霊魂となるとね、なかなか難しいです。あちらからお願いされてお話をするのであればいくらか楽かもしれないですけども。仲間たちや先生方にフォローいただきながら、なんとか浄霊にまで至ることはできました。
いやー、難しい。10段階で言えば、まだ2くらいのことしかできていません。これまでにおこなったきたスピリチュアル・カウンセリングの手法とはまるで異なるものですのでできなくても当たり前なのでしょうけれど、それでもやはりスピリチュアルの世界に片足を突っ込んで生きてきた人間ですのでね、もっとね、しっかりしなきゃイカンなと思っています。
今後も素晴らしい仲間たちとともに切磋琢磨しあえればなと言いますか、頑張ってついていかないとなと思っています。

霊媒体験

この週末は勉強会に参加をさせていただきました。前回は審神者の体験をさせていただきましたが、今回は霊媒の体験をさせていただきました。どちらも知識としては存じていましたが経験をしたことはありませんでしたので、よい学びとなりました。

自分の身体のなかに自分以外の霊魂が入って来る感覚は、不思議なものでもあり、以前にも何度か経験しているもののようにも思えました。そりゃそうですよね、憑依ってこういうことなのでしょうから。
霊媒としての体験をさせていただいている最中だということを知っているので「ああ、いま頭の中に浮かんでいるこの考えは僕のものでは無いな。」ですとか「ああ、この気持ちの揺れ動きは僕のものでは無いな。」と思えるのですが、それを知らずにいるとしたら、それが自分のものだと錯覚することもあるだろうなと思えました。そのくらい、自然なものとして感じられました。

人により差はあれど、人は誰しも他者の意識や(場合によっては)彷徨う霊魂の意識に感応をしながら生活を送っているということは知識としては知っていましたが、こうやって実際に体験をしてみると、除霊や浄霊、そしてそれに関わる「実際のところ」をお話させていただくことは、世の中にとって有益なものなんだろうなと感じさせられました。世間で起きる事件や精神疾患のうち、いったいどれほどの割合のものが感応によるものなのだろうかと思うと、それにより救われる命は少なく無いのでは?と思わされました。

まぁいずれにしても、霊媒としての体験は気持ちのいいものではありませんでした。もしかするととても心地がよくて暖かいお気持ちを持たれた方の霊魂が入ってきてくだされば別かもしれませんが、自分では無いものが自分の中にいるという感覚は不快でしか無く、僕はもういいや、と思えました。学びにはなりますけどね。かなりの学びに。