生まれる理由

僕だけだと思っていたのですが、どうも僕以外の方々も似たようなことを考えるらしいことが分かりました。何のことかというと、死を身近に意識した人が考えることです。

僕の舌に癌が見つかったのは2016年の6月です。1か月ほど放置したのち、楽しみにしていた妻との沖縄旅行を終えてから、そのことを妻に伝えました。「たぶん癌なんだよね」と。
新宿にある耳鼻科へ行き、「ああ、これは…」とその可能性をお伝えいただくとともに大きな病院への紹介状を書いてもらい、大きな病院での診察と診断を受け、その結果を受けてさらに大きな病院を紹介していただき、その大きな病院で2016年の8月に舌癌の手術を受けました。ステージ2でしたのでさほど切羽詰まったものではありませんでしたが、それでもやはり死を意識しました。
そのときに頭に浮かんでいたのは家族のことと生き方のことでした。今まで僕は周りの人間に優しくしてこれただろうか。退院したら妻とともにどこへ出かけようか、何をしようか。そんなことを考えていました。優しくする対象となる「周りの人間」とは不特定多数では無く、ごく親しい人間だけです。両手で数えられるほどの人の顔だけが、自然と頭のなかに浮かびました。妻と共にでかけたい場所とは、特別な場所では無く、近所の公園だったりスーパーだったりと、ごく身近な場所ばかりでした。そして「星空を眺める」や「語り合う」などの経験ですね、そんな経験を積み重ねて行きたいと思いました。普段の僕なら「あんな車に乗りたい」やら「ステーキを食べに行きたい」なんてことを考えるだろうと思うのですが、そういった物質的な欲求は皆無であり、頭に浮かぶことはどれも精神的なものであり、とても身近なものばかりでした。
おそらくは、それが僕の生きる目的とでも言いますか、使命とでも言いますか、そういうものなんだろうなと今は思っています。周りの人間に対して優しくすることと、体験を通して心を豊かにすること。これが僕がこの世で行いたいと思っていることなんだろうなと。

死に直面した方の多くが僕と同じようなことをお考えになるようです。ということはつまり、人間がこの世に生まれてくる理由とは、そのあたりのところにあるんじゃないのかなと思えます。

閃いた

「閃いた!」と思いましたが、冷静に考えるとイマイチかもしれないと思えてきました。
いやね、現在の安西ヒーリングのサービスは遠隔ヒーリングのみとさせていただいていますよね。対面でおこなうヒーリングやカウンセリングは準備中とさせていただいています。その理由は皆さまをお迎えするための場所が見つかっていないためです。「ここだ!」という物件がなかなか見つからないのです。で、昨日の夜唐突に閃いたのは、賃貸物件を探すのでは無く、少し大きめの車を購入してその中でやればいいんじゃね?ということです。所謂ワンボックスカーやキャンピングカーを購入して、そこを安西ヒーリングの活動場所とすればいいのかなと、そんなことを思ったのです。賃貸物件は空きが無ければお借りすることはできませんし、都内ですと賃料もなかなかのものです。それに比べると、車は初期投資こそ大きいですが、(車種にもよりますが)資産にもなります。いざというときの避難場所にもなります。仕事として使うのですから、いくらかは経費で落とすこともできると思います。ほら、なんて素敵なんでしょうと思ったのですが、冒頭にも書いたとおり、ちょっとコレ、イマイチかもしれません。高価なワンボックスカーにお乗りの方2名にリサーチをしてみたのですが、お二人とも「あんなところに何時間もいられない」と言うのです。車のなかでは仕事はできないと言います。椅子を対面にすればカウンセリングはできますし、二列目と三列目のシートをフルフラットにすればヒーリングもできるでしょうからグッドアイデアだと思ったのですが、やはり車は車、ということでしょうか。冷静に考えればエンジンをかけっぱなしにしておくのもいかがなものかと思えますし、お越しいただく方が女性の場合、車という狭い空間に私とふたりきりというのも危険な印象を与えてしまうかなとも思えますし、やはり地道に賃貸物件を探し続けた方が無難なのかなぁと思えてきました。いいアイデアだと思ったんですけどねぇ。

御眷属拝借

私の崇敬神社では、御眷属拝借と言って、御眷属の御神札を1年間拝借することができます。御神札のかたちで御眷属にお越しいただくことにより、1年間、自宅とその周辺をお守りいただきます。
玄関の扉付近に付札(御祈祷神璽、火防之神璽、盗賊除神璽)を貼っておいたのですが、先週末の台風の影響によりその付札と台紙が湿ってしまい、壁から剥がれそうになっているのを見つけました。剥がれてしまっては大変だと思って付けなおしてはみましたが、何度付けても剥がれそうになるのです。「う~ん」とは思いましたが、この御神札にお越しいただいたのは昨年の10月頃だったなぁと思い、もうこのタイミングで剥がしてしまい、神社へお戻りいただくことに決めました。付札を台紙ごと壁から剥がし、家の天井付近に供えてある御眷属の御神札を降ろしました。御神札の裏側には御眷属を入れていただいた日にちが印字されているのでチラッと確認をしたところ、そこには平成三十年十月十六日と書かれており、軽く驚きました。ちょうど1年前に御神札に入れていただいた御眷属だったのです。なるほど、何度付けても剥がれそうになってしまったのは、もうお帰りになりたかったからなのかもしれないなと納得しました。さっそく神社に連絡を入れ、また新たに御眷属をお招きする準備を整えました。
1年間お守りいただいた御眷属様、そしてお手配をいただいた神社の皆さまに感謝です。

備え

私は心配性なので、災害に対する備えは怠りません。飲料水は常に100L以上、食べ物、カセットコンロ、バッテリー、クーラーボックス、簡易トイレなどなど、可能な限りの備えをしています。いざという時にご近所さんにお配りしても大丈夫かな?と思える程度の量を備えています。
ここまでの備えをしていてもひとつだけ気がかりなことがあります。それは自分の体力です。夏におこなった手術の影響で私の左腕は思うように動きません。重いものを持つこともNGですので、筋トレやストレッチも控えています。何もしないことに慣れてしまいつつあるのが怖いです。下半身は問題ありませんので、たとえばスクワットをするなり階段を昇るなり、できることから徐々にトライしたいなと言いますか、やらなアカンと思っとります。

いざという時に必要なのは体力です。身体が動かないとどうにもなりません。自分で自分の尻を叩いて、無理矢理にでも動かさなイカンですね。まずはやる気スイッチを探すところからですね。どこ行ったんだろ。

人に優しく

昨日の日記にも書いたように、週末は浄霊の現場に参加をさせていただきました。そこで霊媒のなかに霊魂に定着していただくお手伝いをさせていただいたことによる副産物がありましてね、それは何かと言いますと、他人に優しくなれるようになったのです。いや、全く優しく無かったわけでは無いですよ。おそらくは普通でしたよ。それがね、なんだか自然と周りに優しくなれるようになったのです。
霊媒のなかに霊魂に定着していただく前に、まずは霊媒と私(審神者)との間に信頼関係を築く必要があるのですが、その作業を通すことにより、他人に優しくする感覚を思い出したということです。言うなればラポールですよ、ラポール。産業カウンセラーの資格を取るべく勉強をしていたころに耳にタコができるくらい言われ続け実践し続けたラポールの形成。心理学用語で言うところの「信頼関係」ですとか「心を通じ合わせる」なんて意味を持つ言葉ですけれど、霊媒との信頼関係を築くってことは、つまりはあのとき学んだラポールの形成をそのまま実践すればいいんだなと思い、その場で実践したのです。目線と表情に気を付けて、言葉のトーンと速さを意識して、霊媒に語りかけました。で、久しぶりにその作業をおこなったところ、通勤電車に乗っているときにも周りの方々に意識が向きやすくなり、「あの人大丈夫かな?」やら「手助けを必要として無いだろうか?」なんてことを思うようになりました。自分中心の意識が少し薄れたかなと。

産業カウンセラーの資格を取るべく勉強をしていた頃には全く想像もしていませんでしたが、あの頃の経験が今になって役に立つだなんて、世の中ってうまくできてるなぁ、なんてことも思いました。なんかこう、順調だなと。