気力

舌癌が首のリンパに転移をしたことによる頸部リンパ節郭清術の手術を終え、退院をしてからそろそろ2週間が経過します。退院したその日から仕事をはじめていますが、手術をした首や、手術の後遺症として上げづらくなっている左肩あたりには痛みを感じています。さほど大きな痛みでは無いので大丈夫ではありますが、じんじんとした痛みが継続するのは喜ばしくは無いですね。「こんなときこそ自分でヒーリングを!」と思うのですが、痛みのせいで、その気力が湧かないのです。自分の身体が辛い状況にあるとき、これは僕だけに限ったことなのかもしれませんが、なかなか気力って湧かないものですね。ヒーリングをおこなう元気が出ないので、せめて瞑想だけでもやりたいなと思い、いつもの椅子に座って目を瞑っても、その最中に痛みが走るのでなかなか深い瞑想にはなりません。舌癌の手術はこれまでに2度おこなっており、2回とも舌を少し切除しています。その経験上、術後は身体にはさほど影響は出ないものと思っていたのですが、舌と首とは違うものなんですね。そのことを身をもって知ることになりました。身体にメスを入れるということは大きなことなんだなと。勉強になりました。

今回の転移は非常に珍しいものだったそうです。2016年に舌癌が発見されたときにはステージ2、2018年に再発したときはステージ1。その状態から半年後に首のリンパに転移することがまず珍しいことだそうで、確率から言うと数パーセントだそうです。さらに僕の場合は転移した場所が首は首でも鎖骨に近い部分で、それがまた珍しいそうです。多くの場合、首に転移するとしても上の方、つまりはあごに近い部分だそうです。あごに近い部分への転移と鎖骨近くへの転移との違いを先生に問うと、鎖骨近くの転移の場合は、肺に近いぶん、肺への転移がしやすいそうです。つまりは僕の癌はなかなかな速さで転移をしていると。
手術を終え、それから約1週間後に、手術で切り取った首のリンパとその周辺の脂肪の検査結果が出ました。術前に確認をしていた腫瘍2つ以外には目に見える腫瘍は見つからなかったそうです。そして浸潤もしていなかったと。先生が仰るには「想定していた結果のうち、最善だと思われる結果よりも良い結果だった。」ということでした。術後の放射線治療は必須だと考えていたようですが、それも任意になりました。6/24の日記にも書きましたが、術前には自分で自分にヒーリングをおこなっていました。あのときには腫瘍が消えればいいと思いながらヒーリングをおこなっており、結果としてそれが無くなることはありませんでしたが、今回先生が思う結果よりも良い結果が出たというお話を伺って、もしかするとあのときのヒーリングが功を奏したのかもしれないなと頭に浮かびました。消えはしなかったけど、止めてくれてはいたのかなと。
現状は「目にみえる転移は認められない」という状況であり、目に見えない転移に関してはその範疇にありません。極々小さな腫瘍がまだ残っている可能性はゼロでは無いということです。ですので100%の安心ができる状況ではありませんので、先生としては引き続き放射線治療をおこなうことをひとつの選択肢として、僕に提案をしてきています。「任意ですが」ということで。それを決断する猶予は2か月あるとのことでしたので、現時点では放射線治療はお断りしました。気が変わればお願いすることにしますが、ひとまずは、少しゆっくりしようかなと思っています。

そして今朝になり、理由は全く分からないのですが、現在とてもいい気分でいます。痛みが続いているのでなかなか気分を上げることができずにいましたが、なぜか今はいい気分です。ですのでこのまま自分へのヒーリングも復活させようと思います。何をするにも気力って大事です。と言いますか、必要なものです。それが自分のなかに認められる今、病からの回復はもちろんのこと、今後の人生の展望についても前向きに考えてみるつもりです。何をするにもまずは気持ちから、ですね。

良いもの、悪いもの

僕ね、思うんです。神さまは全知全能ですから、この世に不必要なものはお作りにならないであろうと。でも世の中には争いごとが起きるわけで、おかしな事件も起きていますよね。ということはつまり、僕らが「どうしてこんなおかしなことが起きるのか」と思えるようなことであっても、神さまから見れば必要なものだということだと思うんです。必要なものと言うよりは、それも神さまの一部であるということでしょうか。本当に不必要なものであればこの世に現れるわけが無いわけで、ということは、僕ら人間は宇宙にとって必要な存在だということになると思います。不必要なものであれば、とっくの昔に絶滅しているか、もしくは最初から創造されなかったであろうと思うのです。
でね、争いごとばかりしている僕ら人類が神さまにとって必要な存在だということはですよ、今僕の首のリンパにある癌も、僕にとって必要なものなのかもしれないなと思えるのです。人類が神さまの一部であるように、癌も僕の一部なんだろうなと。いや、もちろん無い方がいいですよ。無い方が安心ですもの。でもそこにあるということは、なんだろう、もちろん意味はあるものなんだろうし、悪いもの…ではあるんだろうけど、完全なる悪では無いんじゃないかなとも思えますし。
ともかくは、癌も僕の一部です。ですので「この悪者め!切り捌いて捨ててくれるわ!シッシッ!」ってのもちょっと違うかなと思え、そうでは無く、まずは僕の一部であることを受け入れて、こうなるまで気づかずに放置してしまっていたことに謝罪をして、そして癒してあげるというね、なんかこの流れの方がしっくり来るんですよね。なのでこう、身体の部分はお世話になっている先生(ドクター)にお任せするとして、心に対しては謝罪と癒しの気持ちを送ろうと思います。

さて、明日から入院です。

転移とお休み

先週、舌癌の転移が確認されました。首のリンパに転移しました。入院をして治療をおこなうため、7月1日(月)~7月21日(日)までの間はお休みをさせていただきます。その期間内にいただいたお問い合わせ等については、7月21日(日)以降、順番に回答をさせていただきます。あらかじめご了承ください。

今回の転移は、少し前に自分で気づいていました。日課のストレッチをおこなう際やヒゲを剃る際に違和感があり、先々週あたりに小さなしこりを見つけていました。そして先週の定期検診の際に診ていただくと、案の定、転移が認められたという次第です。
日頃から自分に対してヒーリングをおこなうことはほとんどありません。どうしようも無いくらいの状況に追い込まれないとやらないです。でも今回は、しこりを見つけた先々週あたりから定期検診までの数日間、自分に対してヒーリングをおこなっていました。舌にある水膨れのようなもの(もう何か月も前からあるのです)についてはヒーリングをおこなうことで顕著に小さくなりましたが、首のリンパのしこりについては大きな変化は見られませんでした。定期検診までにしこりを消去できればと思っていましたが、間に合いませんでした。よって来月の頭に手術をして首のリンパを切ることになった次第です。
正直なところ、僕は自分に対するヒーリングはあまり上手ではありません。ヒーリングをおこなうにはいくつかの条件と言いますかコツがあるのですが、そのコツのうちのひとつが、自分に対してヒーリングをする際にのみ欠けてしまうのだと思います。欠けているもの、それは平たく言えば自分への愛情です。自分のことは大好きですが、自分に優しくすることはあまり得意では無いようです。薄々は気づいていたことですが、それが今回表面に出てしまったようです。今回の手術を機に、今後はもっと自分を癒してあげようと思います。

呼吸と三大欲求

呼吸について。瞑想の場合は鼻から吸って口から吐く。ヨガ(僕が教わったもの)の場合は鼻から吸って鼻から吐く。特に後者の呼吸をしているときに気づいたのですが、ヨガの呼吸を繰り返していると食欲が抑えられるように思えます。と言いますか、僕の場合はそうなります。それと性欲。これは年齢のせいもあるでしょうけれど、それも無くなります。睡眠欲は無くならないんですけど、食欲と性欲は少なくなるかなー。
そこで思いだされるのが、どうだろう、どれくらい前だろう、数十年前になると思いますが、水以外全く摂取せずに生きている人がいて、その人が言った「大気中からプラーナを摂取しているから大丈夫。」というセリフです。当時は「なんじゃそら。」と思ったものですが、プラーナうんぬんは置いておいて、呼吸を突き詰めることで食事の量を減らしても大丈夫と言いますか、そもそもエネルギーを食料から補給しなくても大丈夫になるのかもしれないなとは思うんですよね。ヨガやら瞑想(つまりは呼吸)で心を落ち着かせるということは、言い変えれば肉体的意識から霊体的意識へと、意識の主たる場所を移動させることだと思うので、肉体に必要なもの、つまりは食欲と性欲は、瞑想やヨガの最中には減退してしかるべきなのかもしれないなと。睡眠欲についてはよく知らんけども、霊体にとっても休息は必要だろうという考え方です。
ただアレだ、せっかく肉体を持ってこの世に生まれてきているわけですから、肉体を持っているからこそできる行為はなるべくやり続けたいなと僕は思います。おいしいもの食べたいもの。その方が人生楽しいよ。そうは思うけれど、呼吸と意識による肉体と霊体へのアプローチとでも言いましょうか、そのあたりのことは奥が深そうだなと、そちらはそちらで興味津々なのでございます。

思い込みの大切さ

いまからけっこう大それたことを書きますよ。なので話半分で読んでくださいね。

いやね、この人生を思うように生きて行くためには、思い込みをうまく利用することが鍵となると思っているのです。思い込み?そう、思い込みです。
たとえば僕の場合、20代後半になった頃に「人生の転機には僕を正しい方向に導いてくれるキーマンが必ず現れる」ということに気づきました。それまでに何度かの転機を経験しているのですが、思い返してみると、僕は求めていないにも関わらず、必ず誰かが現れて、僕を正しい方向へ導いてくれていたのです。それに気づいてからは「頑張ってさえいれば必ず誰かが見ていてくれているから大丈夫。」と思えるようになりました。ですので僕は何年も先のことなど全く心配していません。いま目の前にあることに一生懸命になっていれば、たとえうまく行かなくなった場合でも、どこからともなく誰かが現れて、手助けをしてくれて、道は勝手に開いてくれるのです。なのでむしろ先のことなど考えていない方がうまくいくのです。これを僕は心の底から信じています。言い方を変えると、そう思い込んでいます。20代後半からの約20年間、この「僕は大丈夫」との思い込みにより、きちんと生きてこれています。

もうちょい分かりやすく書きましょうか。たとえば何か欲しいものがある場合、それがお金でも異性とのお付き合いでも何でもいいんですけど、それを思い込むことで手に入れやすくなります。ここで大事なのはふたつあって、「身の程を知る」ということと、「強く念じる」ということです。身の程を知るってのはちょっと言いすぎた感はありますが、要は、例えば貯蓄が100円の人が明日10億円手に入れたいと思ってもなかなか難しいぞということです。10億円では無く、100円を150円にしたいというところから始めるとベターだということです。異性の場合も同じで、面識も無いにも関わらず俳優さんやアイドルと付き合いたいと思っても難しいですよね。ですので何らかの努力をしたうえでお近づきになり、そのうえで思い込む、つまりはそのお相手とお付き合いして結婚して共に歳をとってお墓に入るところまでを当たり前のように心に思い描くことができるようになれば、うまく行く可能性は高まると思います。知らんけど。
でね、「強く念じる」というところが人それぞれなのでこれはもういろいろやってみて自分にしっくりくるものを見つけていただくしか無いなと思っているのですが、パターンとしてはふたつあって、ひとつは「強く念じたら全てを忘れる」というもので、もうひとつは「ひとときも忘れることなく念じ続ける」というものです。前者は「これでもか!!」とばかりにその思いを強く念じ、それが終わったらそのことの一切を忘れてしまうというものです。「手放す」ということですね。後者は文字通りですが、何をしているときでもその思いを頭の片隅に置いたまま決して忘れないというものです。

というように、まずは努力してある程度の現実を作りだし、それができたらあとは強く念じると。それがね、欲しいものを手にいれる方法、つまりは人生を思うように生きて行く方法です。欲しいものって物質だけじゃー無いですよね。ですのでこの方法というか理論というか、それを使えば自分で描いた通りの人生に近づけると思います。
「どうせ自分にはできっこ無い」とか「あいつは優秀だから」なんてことを考えるのは自由ですし止めもしませんが、人が思うことってあなどれないというか、力を持っているというか、バカにできないものだと思うのです。おそらくは、思いってのは目に見えないくらいに小さいだけであって、実際には物質だと思うのです。物質だからモノに影響を与えることができるものなのです。ですのでマイナスなことを考えている時間があるのなら、自分にとって有益なことを頭の中に思い描き、それを心に擦りこむ方が得策と思えます。