御眷属拝借

私の崇敬神社では、御眷属拝借と言って、御眷属の御神札を1年間拝借することができます。御神札のかたちで御眷属にお越しいただくことにより、1年間、自宅とその周辺をお守りいただきます。
玄関の扉付近に付札(御祈祷神璽、火防之神璽、盗賊除神璽)を貼っておいたのですが、先週末の台風の影響によりその付札と台紙が湿ってしまい、壁から剥がれそうになっているのを見つけました。剥がれてしまっては大変だと思って付けなおしてはみましたが、何度付けても剥がれそうになるのです。「う~ん」とは思いましたが、この御神札にお越しいただいたのは昨年の10月頃だったなぁと思い、もうこのタイミングで剥がしてしまい、神社へお戻りいただくことに決めました。付札を台紙ごと壁から剥がし、家の天井付近に供えてある御眷属の御神札を降ろしました。御神札の裏側には御眷属を入れていただいた日にちが印字されているのでチラッと確認をしたところ、そこには平成三十年十月十六日と書かれており、軽く驚きました。ちょうど1年前に御神札に入れていただいた御眷属だったのです。なるほど、何度付けても剥がれそうになってしまったのは、もうお帰りになりたかったからなのかもしれないなと納得しました。さっそく神社に連絡を入れ、また新たに御眷属をお招きする準備を整えました。
1年間お守りいただいた御眷属様、そしてお手配をいただいた神社の皆さまに感謝です。

備え

私は心配性なので、災害に対する備えは怠りません。飲料水は常に100L以上、食べ物、カセットコンロ、バッテリー、クーラーボックス、簡易トイレなどなど、可能な限りの備えをしています。いざという時にご近所さんにお配りしても大丈夫かな?と思える程度の量を備えています。
ここまでの備えをしていてもひとつだけ気がかりなことがあります。それは自分の体力です。夏におこなった手術の影響で私の左腕は思うように動きません。重いものを持つこともNGですので、筋トレやストレッチも控えています。何もしないことに慣れてしまいつつあるのが怖いです。下半身は問題ありませんので、たとえばスクワットをするなり階段を昇るなり、できることから徐々にトライしたいなと言いますか、やらなアカンと思っとります。

いざという時に必要なのは体力です。身体が動かないとどうにもなりません。自分で自分の尻を叩いて、無理矢理にでも動かさなイカンですね。まずはやる気スイッチを探すところからですね。どこ行ったんだろ。

人に優しく

昨日の日記にも書いたように、週末は浄霊の現場に参加をさせていただきました。そこで霊媒のなかに霊魂に定着していただくお手伝いをさせていただいたことによる副産物がありましてね、それは何かと言いますと、他人に優しくなれるようになったのです。いや、全く優しく無かったわけでは無いですよ。おそらくは普通でしたよ。それがね、なんだか自然と周りに優しくなれるようになったのです。
霊媒のなかに霊魂に定着していただく前に、まずは霊媒と私(審神者)との間に信頼関係を築く必要があるのですが、その作業を通すことにより、他人に優しくする感覚を思い出したということです。言うなればラポールですよ、ラポール。産業カウンセラーの資格を取るべく勉強をしていたころに耳にタコができるくらい言われ続け実践し続けたラポールの形成。心理学用語で言うところの「信頼関係」ですとか「心を通じ合わせる」なんて意味を持つ言葉ですけれど、霊媒との信頼関係を築くってことは、つまりはあのとき学んだラポールの形成をそのまま実践すればいいんだなと思い、その場で実践したのです。目線と表情に気を付けて、言葉のトーンと速さを意識して、霊媒に語りかけました。で、久しぶりにその作業をおこなったところ、通勤電車に乗っているときにも周りの方々に意識が向きやすくなり、「あの人大丈夫かな?」やら「手助けを必要として無いだろうか?」なんてことを思うようになりました。自分中心の意識が少し薄れたかなと。

産業カウンセラーの資格を取るべく勉強をしていた頃には全く想像もしていませんでしたが、あの頃の経験が今になって役に立つだなんて、世の中ってうまくできてるなぁ、なんてことも思いました。なんかこう、順調だなと。

浄霊

この週末は、浄霊の現場に参加をさせていただきました。除霊であればこれまでにも何度かお手伝いをさせていただいてきましたが、霊媒に魂を降ろしての浄霊の現場は見ることすら初めてのことで、非常に勉強になりました。今回は霊媒に魂を降ろさせていただくところまでは、不器用ながらもお手伝いをさせていただくことができました。
その勉強会には今後も定期的に参加させていただけることになっているので、そのことに感謝し、気を引き締めて、勉強をさせていただきたく思います。まずはこの週末に体験させていただいたことについての復習からです。なんと言いますか、世間って広いです。

パワースポット

10年ほど前、ひとりで軽井沢に旅行に行きました。以前から泊まってみたかったHリゾートさんが経営するホテルに二泊し、日頃の疲れを癒しました。
性格上、あらかじめ予定を立てての旅は苦手なもので軽井沢でも行き当たりばったりの行動をしていましたが、最終日になり「長野って何があったっけなぁ…」と考えた結果、頭に浮かんだのが分杭峠でした。分杭峠とは「ゼロ磁場」のパワースポットで、所謂「気場」として知られた場所です。長野のどこにあるのかも知りませんでしたが、ナビがあるから何とかなるだろうとのことで向かってみました。
長野って広いですね。行けども行けどもまるで到着する気がしませんでした。後で知ったことですが、軽井沢と分杭峠はかなり離れていたようです。おそらくは横浜と富士山くらい離れているのではなかろうかと。そりゃいつまで経っても到着しないはずです。

かなりの時間をかけて山道を抜け、ようやく目的地に到着しました。平日の午前中でしたが、既に数十名の方がいらっしゃいました。山の斜面を削ったような場所に小さい丸太を切って作ったようなベンチがあり、皆そこに並んで座っていました。「うわぁ…」と思いました。いや、見た目が。僕はそこには入れないなと。そもそもここはパワースポットのはずだけれど特に何も感じないぞということもあり、その場所へは近寄りませんでした。で、「実は滝の前の方がパワーが強い」とどこかに書いてあったことを覚えていたので、その滝とやらを探すことにしました。看板は見当たりませんでしたが、なんとなく坂道を登り、10分も歩いたのかな、まずまず歩いたところに滝はありました。そこにも数台の車とともに10名ほどの先客がいました。「先生」なんて声をかけているので、何かしらの団体さんなのでしょう。その方々の脇を通り、滝の前に数十秒ほど立ってみましたが、僕が鈍感なのか何なのか、よく分かりませんでした。
せっかく来たのになぁ、なんてことを思いながら歩いてきた道を戻りましたが、数分歩いたところで身体の左側に微妙な心地よさを感じました。「なんだ?」と思い立ち止まって振り返ると、かなりの小規模ではありますが、山の傾斜に沿って水が流れ落ちている場所がありました。改めてその場所の前で静止してみたところ、やはりそこでした、心地よさの発信源は。単なる道の途中ですのでその場所には僕以外は誰もいませんでした。時間にして1~2分ほどでしょうか。その場所に立って「気」をもらい、分杭峠を後にしました。

全くの私見ですが、パワースポットってものは本当にあるのだろうとは思いますが、そこに集まる人が持ち込むモノによって、その場が持つ本来のパワーは失われるんじゃなかろうかと。もしくは移動してしまうとか。僕の感覚だけが正しいとは思いませんが、斜面のベンチにも滝の前にも正のパワーらしきものを感じ取ることはできませんでした。それに比べて、あの水が滴り落ちる「名も無き場所」の方が心地よいものを発していました。それも僕と土地とのマッチングの問題かもしれませんけども。