勉強

ここ最近の日記を読んでいただくと分かると思いますが、ここ数年はある霊能者のもとで勉強をさせていただいています。霊界に関する科学的な知識やその周辺に関することを、実技と合わせて学ばせていただいています。それを知ると「スピリチュアルを生業としている人間がどうして今さら勉強をするのか」と思う方がいらっしゃるかもしれません。その理由はとても簡単で、単に自己研鑽に励みたいためです。その自己研鑽のなかに「他の方の考え方を聞いて学ぶ」という行為を含めているということです。自分ひとりの考えに固執することは危険と隣り合わせと思えますし、他の方の考え方をお伺いして取捨選択をしたり、その考え方についてさらに学びを深めることは良いことだと思えます。過去に所属していた日本産業カウンセラー協会においても、定期的に他のカウンセラーのカウンセリングを受けることで自分を客観視することは大切であるとされていました。その考え方はそのままスピリチュアルの世界にも当てはまるものと思います。
この秋からは浄霊の実技を集中的に行っています。今後安西ヒーリングにおいて浄霊をおこなう予定は全くありませんが、その経験を通して既に多くの学びを得ることができています。その学びは安西ヒーリングのクライアント様方にとって有益なものとなると確信しています。

審神者体験

1か月ぶりの日記です。こことは別に個人的な日記を書いているブログがありまして、そちらのブログは常時更新をしているのですが、こちらの日記はですね、どうもこう真面目なことを書かないとイカンかなという思いが出てきてしまいまして、なかなか更新できずにおります。真面目なことばかり書く必要なんて無いことは分かってはいるのですが、なんだかこう、筆が進まないと言いますか、キーボードが進まないと言いますか、そんな感じです。

さて、前回の日記と同様、今月もまた勉強会に参加をさせていただきましたので、そのお話をね、書ける範囲でさせていただきますね。
前回は巫女役として私の身体に霊魂を降ろしていただきましたが、今回は審神者(さにわ)役をさせていただきました。審神者ってのは何かと言いますと…まぁそこにはいろいろな意味があるのですが、今回の勉強会で言うところの審神者とは、高級霊との共同作業によって巫女に霊魂を降ろしたうえでその霊魂を浄化へと後押しさせていただく役割とでも言いましょうか、そのあたりの役割を担う人のことです。少しもやっとしましたが、例えば「審神者をする」のようにその行為のことを審神者ということもありますし、単純に役割のことを指すこともありますし、その範囲もまちまちですし、まぁいろいろなんですよ。とにかくは今回は高級霊との共同作業によって巫女に霊魂を降ろす云々の係をさせていただいたわけですが、一言で言えばまぁ難しかったです。常に意識レベルでは高級霊とコンタクトを取りながら巫女…と言いますか、巫女の中に入っている霊魂とは言語でのやり取りをするわけでその同時進行が難しいですし、それ以前に霊界に関するしっかりとした知識が無ければ霊魂の浄化の後押しをさせていただくことは難しいでしょうし、そもそも巫女の中に入る霊魂は自分の意思で入っていないことがほとんどでこちらとの会話を望んで来たわけでは無いのです。私は産業カウンセラーの資格を取得した経験があるので「対話をする」ということについては未経験ではありませんが、相手がそのような霊魂となるとね、なかなか難しいです。あちらからお願いされてお話をするのであればいくらか楽かもしれないですけども。仲間たちや先生方にフォローいただきながら、なんとか浄霊にまで至ることはできました。
いやー、難しい。10段階で言えば、まだ2くらいのことしかできていません。これまでにおこなったきたスピリチュアル・カウンセリングの手法とはまるで異なるものですのでできなくても当たり前なのでしょうけれど、それでもやはりスピリチュアルの世界に片足を突っ込んで生きてきた人間ですのでね、もっとね、しっかりしなきゃイカンなと思っています。
今後も素晴らしい仲間たちとともに切磋琢磨しあえればなと言いますか、頑張ってついていかないとなと思っています。

霊媒体験

この週末は勉強会に参加をさせていただきました。前回は審神者の体験をさせていただきましたが、今回は霊媒の体験をさせていただきました。どちらも知識としては存じていましたが経験をしたことはありませんでしたので、よい学びとなりました。

自分の身体のなかに自分以外の霊魂が入って来る感覚は、不思議なものでもあり、以前にも何度か経験しているもののようにも思えました。そりゃそうですよね、憑依ってこういうことなのでしょうから。
霊媒としての体験をさせていただいている最中だということを知っているので「ああ、いま頭の中に浮かんでいるこの考えは僕のものでは無いな。」ですとか「ああ、この気持ちの揺れ動きは僕のものでは無いな。」と思えるのですが、それを知らずにいるとしたら、それが自分のものだと錯覚することもあるだろうなと思えました。そのくらい、自然なものとして感じられました。

人により差はあれど、人は誰しも他者の意識や(場合によっては)彷徨う霊魂の意識に感応をしながら生活を送っているということは知識としては知っていましたが、こうやって実際に体験をしてみると、除霊や浄霊、そしてそれに関わる「実際のところ」をお話させていただくことは、世の中にとって有益なものなんだろうなと感じさせられました。世間で起きる事件や精神疾患のうち、いったいどれほどの割合のものが感応によるものなのだろうかと思うと、それにより救われる命は少なく無いのでは?と思わされました。

まぁいずれにしても、霊媒としての体験は気持ちのいいものではありませんでした。もしかするととても心地がよくて暖かいお気持ちを持たれた方の霊魂が入ってきてくだされば別かもしれませんが、自分では無いものが自分の中にいるという感覚は不快でしか無く、僕はもういいや、と思えました。学びにはなりますけどね。かなりの学びに。

閃いた

「閃いた!」と思いましたが、冷静に考えるとイマイチかもしれないと思えてきました。
いやね、現在の安西ヒーリングのサービスは遠隔ヒーリングのみとさせていただいていますよね。対面でおこなうヒーリングやカウンセリングは準備中とさせていただいています。その理由は皆さまをお迎えするための場所が見つかっていないためです。「ここだ!」という物件がなかなか見つからないのです。で、昨日の夜唐突に閃いたのは、賃貸物件を探すのでは無く、少し大きめの車を購入してその中でやればいいんじゃね?ということです。所謂ワンボックスカーやキャンピングカーを購入して、そこを安西ヒーリングの活動場所とすればいいのかなと、そんなことを思ったのです。賃貸物件は空きが無ければお借りすることはできませんし、都内ですと賃料もなかなかのものです。それに比べると、車は初期投資こそ大きいですが、(車種にもよりますが)資産にもなります。いざというときの避難場所にもなります。仕事として使うのですから、いくらかは経費で落とすこともできると思います。ほら、なんて素敵なんでしょうと思ったのですが、冒頭にも書いたとおり、ちょっとコレ、イマイチかもしれません。高価なワンボックスカーにお乗りの方2名にリサーチをしてみたのですが、お二人とも「あんなところに何時間もいられない」と言うのです。車のなかでは仕事はできないと言います。椅子を対面にすればカウンセリングはできますし、二列目と三列目のシートをフルフラットにすればヒーリングもできるでしょうからグッドアイデアだと思ったのですが、やはり車は車、ということでしょうか。冷静に考えればエンジンをかけっぱなしにしておくのもいかがなものかと思えますし、お越しいただく方が女性の場合、車という狭い空間に私とふたりきりというのも危険な印象を与えてしまうかなとも思えますし、やはり地道に賃貸物件を探し続けた方が無難なのかなぁと思えてきました。いいアイデアだと思ったんですけどねぇ。

御眷属拝借

私の崇敬神社では、御眷属拝借と言って、御眷属の御神札を1年間拝借することができます。御神札のかたちで御眷属にお越しいただくことにより、1年間、自宅とその周辺をお守りいただきます。
玄関の扉付近に付札(御祈祷神璽、火防之神璽、盗賊除神璽)を貼っておいたのですが、先週末の台風の影響によりその付札と台紙が湿ってしまい、壁から剥がれそうになっているのを見つけました。剥がれてしまっては大変だと思って付けなおしてはみましたが、何度付けても剥がれそうになるのです。「う~ん」とは思いましたが、この御神札にお越しいただいたのは昨年の10月頃だったなぁと思い、もうこのタイミングで剥がしてしまい、神社へお戻りいただくことに決めました。付札を台紙ごと壁から剥がし、家の天井付近に供えてある御眷属の御神札を降ろしました。御神札の裏側には御眷属を入れていただいた日にちが印字されているのでチラッと確認をしたところ、そこには平成三十年十月十六日と書かれており、軽く驚きました。ちょうど1年前に御神札に入れていただいた御眷属だったのです。なるほど、何度付けても剥がれそうになってしまったのは、もうお帰りになりたかったからなのかもしれないなと納得しました。さっそく神社に連絡を入れ、また新たに御眷属をお招きする準備を整えました。
1年間お守りいただいた御眷属様、そしてお手配をいただいた神社の皆さまに感謝です。