私について – 20代

20代になると、それまではやろうとも思ってもいなかった「自分の身に起きたことを確認する」という作業をおこなうようになりました。ひとつ、例を挙げます。

男女4名でファミリーレストランで食事をしていた際、私の正面に座った女性の顔が気になり始めました。宮崎出身のとてもかわいい後輩で、肌は若干褐色で彫りが深く…ということでは無く、眼鏡をかけていない彼女の顔に、眼鏡が見える気がするのです。いや、実際には見えてはいないのです。見えてはいないものの、そこに眼鏡があると思えてなりません。それまでにも同様のこと、つまり「なぜかは分からないけれど気になってしゃーないこと」はありました。しかしそれは全て気のせいだと思い、放置していました。なにせ目には見えていないんですから。でもそのときはどうにも気になって仕方がなかったので、思い切って聞いてみることにしました。視力が弱いのかと聞くと、彼女はそうだと言います。コンタクトレンズを付けていると。では子供の頃は眼鏡をかけていたのかと聞くと、その通りだと。その眼鏡は縁が針金のように細くて赤いものかと聞くと、どうして知ってるのかと驚いていました。と言いますか、逆に私が驚きました。やはり自分には「見えて」いたのかと。
後日、見えていたことはいいとして、ではなぜそれが自分には見えたのかの理由が知りたくなりました。後輩の女性が子供の頃にかけていた眼鏡が見えたとして、それが何なのかと。そのことが理解できるまでに…どれくらいかかったでしょうか、さすがに失念しましたが、数年かかったことは確かです。彼女のプライベートに関わることなので詳細は割愛しますが、どうも彼女の守護霊(だと私は思っている)は、彼女に昔のことを思い出してもらいたかったようです。子供の頃に大切にしていたこと、習慣にしていたことを思い出し、それを大学生となり横浜に出てきた今も実践してほしいと思っていたようです。ファミレスで会ってから数年後、幼い頃と同様の道に進んだ彼女を見て、あの眼鏡の意味が理解できた次第です。

次回は30代の頃のことを書きたく思います。自分にとって、この分野でのことが大きく動いたのが30代です。できれば現在に至るまで書ければいいなと。

私について – 大学生まで

私について、今日が第三回目です。ひとつのことを丁寧に説明しすぎて進みが遅い気がするので、もうちょい速度を上げていきます。

大学生の頃、初めて憑依をされました。いや、本当にされたのかは分かりませんが、あの時も、今でも、そう思っています。
高校生の頃からお付き合いをさせていただいていた女性からふられ、想像以上に落ち込む日々を過ごしていました。当時の私はコンビニでアルバイトをしていましたが、そのアルバイトの最中、唐突に「お墓詣りに行こう」と思えました。コンビニですのでお線香とライターはすぐに手に入ります。アルバイトを終えてから、車で10分ほどのところにある安西家のお墓へ行き、お線香をあげました。その帰り道、既に身体に異変を感じていました。頭が少しふらつくのです。自宅に帰る頃には37度ちょいの熱が出ていました。そしてその晩、その熱は42度を超え、水銀の体温計に刻まれたメモリを振り切りました。それが3日間続きました。姉が知りあいの医師に相談をしたところ、すぐに入院をした方がいいということで、その医師が副院長を務める総合病院に入院をしました。ありとあらゆる検査をしましたが、原因は分からないとのことでした。私はその状況を憑依によるものだと思っておりましたので、「どこかお寺に行けば治ると思う」と告げましたが、もちろん取り合ってもらえませんでした。そのまま1週間入院をし、自然と熱が下がったところで退院しました。
その年はどこまで落ちれば底が見えてくるのか分からないくらい、不幸の連続でした。高熱に始まり、大学とバイト先ではあらぬ疑いをかけられて仲間が離れて行き、出先ではおかしな人間に揶揄され、車に乗れば交通事故を起こして父親の車を廃車にしました。「もうこれで終わりだろう」と思っても、毎月のようにおかしなことが起きました。ただひとつだけ、救いと言っていいのかどうかは分かりませんが、今でも印象に残るできごとがありました。交通事故を起こしたときのことですが、事故を起こすまえ、私は登り坂の下で赤信号で停まっていました。信号が青になると同時にアクセルをふみましたが、車はなかなか進みませんでした。「おかしいな」と思い手元を見ると、普段は引くことの無いサイドブレーキが引かれていました。「なんだこれ」と思いながらサイドブレーキを降ろし(解除し)、アクセルを踏んでスピードをあげたところで事故をおこしました。高速走行中にハンドルを切ったところ前輪が浮いて制御が効かなくなり、そのまま中央分離帯に突っ込み、中央分離帯をジャンプ台にして対向車線へと飛び出し、向かってきた大型トレーラーの側面に激突し、跳ね返ってきて車の天井からさかさまに地面に落ちて止まりました。もしあの赤信号でサイドブレーキが引かれていなければ大型トレーラーと激突したタイミングはズレていたわけで、もしかすると大型トレーラーの側面では無く、正面に激突してお互いに即死だったかもしれません。あのサイドブレーキを引いたのは誰だったのか。知る由もありませんが、自分はまだ死ねないんだなと、これから先やるべきことがあるのかもしれないなと思ったことを覚えています。

今回はこんなところで。次回こそ、所謂「スピリチュアル」な話になっていくはずです。アディオス!

私について – 中学生まで

今日は中学生の頃の話を書きます。昨日の日記には「次回は中学から高校生あたりまでのことを書くつもり」と書きましたが、冷静に振り返ってみたら高校生の頃は何も起きていないと言いますか、特に思い出すことも無いので、今回は中学生の頃のことだけを書きますね。中学生の頃に起きた、忘れられない事件です。

平たく言うと、中学一年生のときに幽霊を見たのです。隣の席の女子たちが休み時間に「こっくりさん」をやってましてね、それが女子たちの隙間からちょいちょい見えるわけです。隣の席なもので。で、やっている最中に休み時間終了のチャイムが鳴り、教室に先生が入ってきました。女子たちは机の上に置いていた紙と10円玉をすぐにしまい、それぞれの席につきました。
授業が終わると、さきほどの女子たちが慌てていました。どうやらこっくりさんというものには始め方と終わり方の作法があるようで、さきほどは教室に先生が入ってきてしまったので、その正しい終わり方をすること無く終わらせてしまったと。こっくりさんが怒ってるかもしれないと。怒ってたらヤバいと。なのでもう一度こっくりさんをやって、怒っているかどうかを聞かないといけないと言います。よく分からんけどもとにかくまずいことが起きたんだねぇと他人事として捉えていましたが、「見てた人も同罪だよ!!」と言われ、隣の席に座っていただけの私も巻きこまれることに。ちょうどテスト前だったため放課後に部活動は無く、皆で検討をした結果、なぜか我が家に集まって皆でこっくりさんをすることになりました。
我が家に集まり、紙と10円玉を皆で囲み、代表の女子が「さっきの方ですか?」と聞くと、10円玉は紙に書いた「Yes」の周りをぐるりと回りました。どよめく女子たち。「怒っていますか?」と聞くと、光の速さでYesを回りました。この時点で数名は泣き出しました。目に見えないものが「怒ってる」と言うんですから、そりゃ怖いよね。で、どのようにしてそこまで至ったのかは覚えていませんが、結果としては許してもらえることになりました。最後に「こっくりさんが言いたいことがあれば言ってください。」と告げると、10円玉はものすごい勢いで紙に書かれた平仮名のなかを動き始めました。その勢いが本当にものすごかったので、その場にいた全員に恐怖心が芽生え、動いている最中にも関わらず、誰かが「お戻りください」と伝えて所定の位置に戻ってもらいました。そしてもう止めようということで、こっくりさんには帰っていただきました。終えてから数分だったか数秒だったかは覚えていませんが、こっくりさんが辿った軌跡をメモしていた女子が「あっ!」と叫びました。彼女が言うには、こっくりさんが辿った平仮名を並び変えると「お」「ま」「え」「ら」「み」「ん」「な」「こ」「ろ」になると言うのです。私も見ましたが、確かにその通りでした。途中で止めてしまったのでその先の文章はもう知る由も無いわけで。その場にいた多くの女子が号泣したことは言うまでもありません。殺されるかもしれないと。
で、こっくりさんのために使った10円玉と紙は処分しなければならないとのことで、私は紙を燃やす係に任命されました。危なくないように台所で紙に火をつけましたが、台所ゆえ、紙の端が少しだけ水に濡れてしまい、燃え残ってしまいました。どうしたもんかと思い、背後にいる皆の方を振り返ったのですが、振り返る途中に知らない女の人が目に入りました。庭にあるみかんの木の下に、白く透けている女の人の上半身だけが浮いていて、私と目が合った瞬間に消えたのです。恐怖も恐怖、大恐怖でした。数分前までやっていたこっくりさん、性別を聞いたら女性だと言っていたことも思い出しました。余計なことを思い出したもんですよ。髪は肩より少し長めでパーマというかウェーブがかかっていて、ブラウスを着てましたよ。それが浮いてんの。怖い怖い。お母さんにも報告しましたよ、そりゃ。それが私の初めての幽霊体験でした。

こんなことを大人になるまでちょいちょい体験してきました。今となってはその積み重ねが大事だったと言いますか、体験すべくして体験してきたのかもしれないなと思えますが、当時の私にとっては恐怖以外の何ものでもありませんでした。

次回は大学の頃から30代あたりまでのお話ができればなと思っています。どんどん「スピリチュアル」な話になっていきますよ。

私について – 小学生まで

みなさんこんにちは、安西です。今日から本格的に安西ヒーリングのブログを開始します。よろしくお願いします。

安西ヒーリングは2012年から先月までの間、本業の多忙が理由でお休みをいただいておりました。休止以前にお越しいただいた方々はご存知とは思いますが、それから月日が経ったこともありますし、いまいちど私の「人となり」を知っていただきたく、これからの数日間は私のことについて書いていくことにします。私について…平たく言えば普通の人なんですけど、まぁ、どのような経緯でヒーリングをおこなうに至ったかなど、これからお申し込みをいただく方にとっては大切なことだと思いますので、書いていきますね。

小学四年生のある日から、私は毎晩のように金縛りにかかるようになりました。それが霊的なものなのか、それとも単なる疲れによるものなのかは分かりませんが、そのことが原因で霊的なものに興味を持つようになりました。あれが全ての始まりです。
初めて金縛りにかかったときは恐怖以外のなにものでもありませんでした。当時の私はひとつの部屋を姉と一緒に使っていました。部屋の片側の壁に私のベッド、反対側の壁に姉のベッドを置き、その間に勉強机をふたつ置いていました。その頃の私は22時には眠くなっていたので、その日もおそらくはその頃に寝たと思います。寝て…どれくらい経ったでしょうか、夜中に突然目が覚めました。「何時だろう?」と思う間も無く、姉の鳩時計が二度鳴きました。「2時か。怖いなぁ…。」丑三つ時という時間帯があり、その時間帯はお化けが出てくるような怖い時間帯だとどこかで聞いたことがあったため、当時の私は夜中の2時に対してかなりの恐怖心を持っていました。「嫌だなぁ、早く寝たいなぁ。」と思いながら目を瞑っていましたが、そんななか、どこからか「キーン…」という甲高い音が聞こえてきました。「何だろう?」と思う間も無く、その音は私の両耳の中で大音量で響き渡りました。それと同時につま先から痺れはじめ、その痺れは瞬く間に全身を包み込み、身体が全く動かなくなりました。怖い。超怖い。怖くて助けを呼ぼうにも声が出ませんでした。口は動くのですが、なぜか声が出ないのです。出ないと言いますか、声は出しているのですが、喉から空気が出るばかりで、それが声にならないのです。「ギーーーーン!!!」という大音量と全身の痺れに包まれること…何分経ったでしょうか。何分か経つと音は小さくなり、やがて消え、全身の痺れも無くなり、身体が動くようになりました。ベッドから降りて猛ダッシュで両親の部屋に向かいました。そこで布団に潜りこみ、一夜をやりすごしました。
金縛りは翌日も、翌々日も続きました。それどころかそれから1年間、休むことなく毎晩のようにそれが続きました。夜が来ることが怖くなりましたし、寝不足にもなりました。両親に言っても「気のせいだ」「夢じゃないの?」と言われるばかりで、全く理解してもらえませんでした。こうなったら自分の身は自分で守るしか無いと思い、自転車で本屋さんへ行き、金縛りの解き方を探しました。もちろん都合よく『金縛りの解き方』なんてタイトルの本が見つかることも無く、所謂オカルト系の雑誌や書籍のページを片っ端からめくり、金縛りに関する情報を集めました。小学四年生です。本を買うお金なんてものはありませんので、内容を暗記してその晩にトライ、効果が無ければまた違う方法を試す、ということをしていました。そんなことをしながら霊に関する知識がストックされ、私と霊的な世界との距離が縮まって行ったということです。さきほど「金縛りが原因で霊的な世界に興味を持つようになった」と書きましたが、正しくは「金縛りを回避するために霊的な世界に足を突っ込まざるを得なかった」の方が正しいかもしれません。

この頃の出来事で思い浮かぶのは、他にも「車の窓ガラスに向かって投げた金属性のミニカーが窓を傷つけること無く跳ね返ってきた事件」や、「江の島で雨をやませた事件」などありますが、今日のところはこのあたりで。次回は中学~高校生あたりの頃の話ができればと思います。

ブログを開設しました

安西ヒーリングのブログを開設しました。

こちらのブログではスピリチュアルな話題に留まることなく、素の部分を出していくつもりです。スピリチュアルに関する真面目な話題は、これまでと同様、コラムのページに書きためていきます。ですのでこちらではもっと気軽に、楽な気持ちで、ツラツラと日常を語って行ければと思っています。

よろしくお願いします。